『 終わりでもあり、始まりでもある 』

私の空手、極真館と出会ったのはもう9年も前の事。まだ小さく、とても幼かった時に私は空手を始めました。小さい時のことはあまり憶えていませんが、親や先生が言うには、稽古中よく寝ていたり、極度の負けず嫌いで、兄や年上の男子に走りや練習で負けると大泣きしていたそうです。
私は皆より少し早いタイミングで試合に出ていきました。試合で負けると聞いたことのないくらい大きな声で大泣きしていたそうです。負けるたびに大声で泣く自分を毎度なぐさめてくれた両親は改めてすごいと思います。
初めて優勝した試合の事はよく覚えています。前蹴りで一本勝ちした後、自分と同じくらいの大きさのトロフィーを持てた事がとてもうれしかったのをおぼえています。ここから大会に対する考え方が変わりました。しかし、私は小さい時から集中力や熱意が無く、何度も先生や両親に叱られていました。けれど反省の色は全く無く、時にはMOMOへの出稽古に行かせてもらえなかった時もありました。
本格的に大会に出場するようになると、私は自身の体の大きさを利用し、多くの大会で優勝していきました。そんな時谷口先生に言われた事をハッキリと覚えています。それは、『 全国一位になってこそが本物のチャンピオン 』 です。
そして二年生の時に初めて全日本大会に出場しました。普段の大会とは格が違っていて、緊張でガチガチになってしまいました。それでも決勝まで勝ち進むことができ、うれしかった反面、心配や緊張で押しつぶされ、緊張のせいで体が動かず、負けてしまいました。この負けがとにかく悔しくて、色んな大会に挑戦し、練習をし、全日本大会絶対優勝を目標に決めました。
秋になると団体戦の全日本大会があり、一年生から出場していたのですが、とにかくチームの先輩や先生を困らせていたそうです。団体なのに一人で行動したり、ボーっとしていてよく𠮟られました。
四年生の時、一度だけ団体戦に出られませんでした。男子メンバーに代表決定戦で負けてしまい、出場することが出来ませんでした。そのショックにより、空手を辞めようとしました。けれど、周りの仲間や先生が引き止めてくれました。そして 「次の年の全日本大会で優勝し、団体戦に出る」 という目標がさらに強くなり、当時の自分では想像を絶するほどの練習量を乗りこえたと思います。
小学五年生の春、4年間なしとげる事ができなかった全日本大会優勝をすることができ、今までの悔し涙が嬉し涙になって返ってきました。そして団体戦にも出場する事ができました。
六年生では、これまでの空手人生とは一変し、様々な事が起きた年でした。小学生最後の全日本大会では、まさかの初戦負けで終わってしまいましたが、この年は例年に比べ、他流派も含めてたくさんの大会に出場して7回優勝をしました。団体戦ではキャプテンをつとめ、三位に入賞することができました。そして中学一年の全日本は必ず優勝しようと思っていました。
しかし、コロナの関係で大会が全て中止となり、中学一年生の思い出は一つも残らず終わってしまいました。けれどコロナが納まり、大会が復活すれば、また大会に出場したいと思うし、大会が無いからこそ、仲間や先生との仲を深め合う事ができると思っています。
黒帯は終わりでもあり始まりでもあります。ここまで空手を続けられたのは自分一人の力ではなく、先生、両親、仲間が私の事を支えてくれたからです。皆には感謝してもしきれません。
これからも私は極真空手を続け、己の精神を鍛えていきたいと思っています。

2019年 全日本空手道選手権大会(極真会館中村道場) 優勝!
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『 今までの自分を振り返って 』

自分は、5歳の時に空手を始めました。きっかけは先に習っていた友達に誘われて体験入門に行った時、凄く楽しくて僕は入門しました。小さい頃の試合はあまり憶えていないけれど、初めて優勝した試合のことは頭にあります。
小学1年生から全日本大会に出場しました。2年、3年、4年生と入賞できませんでした。戦う世界は甘くないんだなとわかりました。僕は何度も負けた試合を見ました。また親からは、考えて組手をするよう言われました。やってみたけれどすごく難しくてできませんでした。そして5年生の全日本で初めて入賞することができました。すごくうれしかったですが、やっぱり優勝したかったです。その時も家に帰って負けた試合を何度も見ました。6年生の全日本でも3位で終わってしまい、すごくくやしくて、僕はまだまだだなと思いました。
そして空手を始めて8年で昇段審査を受けることができて、空手を学んでいるみんなの夢、黒帯になることができました。審査の一週間前から10人組手で最後まで立っていられるのか、10人最後まで戦えるのか緊張と不安でいっぱいでした。審査当日も緊張していました。いよいよ10人組手が始まり、6人目からしんどくなり動けなくなりそうでしたが、みなさんが応援してくださり、動けました。最後まで戦い抜くことができました。終わった時の達成感が大きすぎて泣いちゃいました。とにかく10人組手はすごくしんどかったです。
この黒帯を巻けるのは僕一人の力だけでは絶対に無理だったと思います。稽古に行ったらすごくていねいに熱心に教えてくれた谷口先生、稽古に付き合ってくれた道場のみんなに僕はすごく感謝しています。家で練習手伝ってくれたお父さんお母さんに感謝しています。そして審査が終わって谷口先生に言われた、黒帯を取ったから終わりでなく、ここから新しいスタート地点だと思ってこれからも稽古していきたいと思います。本当に教えてくれた谷口先生、道場のみんな、お父さんお母さんに感謝を忘れず、後輩に教えられるような黒帯になりたいです。
僕には夢があります。それはキックボクシングの世界チャンピオンになることです。でもそれをかなえるためには、いっぱい練習して敵無しぐらいの選手にならなければと思っています。
ここからが新しいスタート地点だと思って、夢をかなえられるようにこれからもがんばっていきます。
押忍。
『 不屈の精神 』

2010年4月、僕は空手を始めました。きっかけは、とにかくスーパー超人みたいに強くなりたかったからです。最初は何も出来なくて、しょっちゅう怒られていたように思います。上段受けができなくて谷口先生に叱られて、悔しくて悔しくてたまりませんでした。組手の稽古でも猫パンチ、蹴りはしょんべん蹴りしか出来ず、自分に腹が立ちました。でも、そんな自分に負けず一生懸命稽古した結果、年中年長と全関西大会で2連覇することが出来ました。他の大会でも入賞することが出来ました。
小学1年の後半から次第にライバルが増えてきて、早い段階で負けてしまう事が多くなっていきました。正直、真剣に気を抜かずに稽古をしているのに何故負けるんだと思っていました。しかし、改めて先輩たちの組手を見てみると、自分がやったことのない突きや蹴りを使っていてびっくりしました。そして、一日一回、何か技を真似してみようと思いました。次第に後ろ蹴りが出来たり、コンビネーションの種類も増やすことができました。そして小学4年の時、久しぶりに全関西大会と全山陰大会で優勝することができました。
小学6年の全日本青少年大会で準優勝し、世界大会に出場しましたが、結果を出せなくて悔しかったけれど、ワッペンを付けて、日本代表として世界に行けた事はとても良い経験になったと思っています。
型競技も幼年から大会に出場しました。小学1年から静岡西支部に出稽古させてもらい、伊熊師範のご指導を受けました。師範に教わると、もっともっと上手くなって全日本青少年大会で優勝したい気持ちが強くなりました。京都の型特訓でも谷口先生に見てもらって叱られながらも繰り返し稽古して、初優勝することが出来ました。しかし、小学2年の全日本大会、予選の型でバランスを崩して転倒してしまいました。すごくすごく悔しくて、その日京都に帰ってきてすぐに来年に向けて稽古したことを思い出します。その日から一日も休まず、お正月もお盆休みも、旅行先でも必ず型の稽古をしました。
小学3年の全日本大会では惜しくも準優勝でした。僕は出稽古に行かせてくださった谷口先生と伊熊師範の為にも絶対優勝したかったです。型の稽古はとても地味で、くり返しダメな所を修正して直せるまで何回もやりました。辞めたいと思う弱い自分と戦う稽古でした。そして小学4年の全日本大会で優勝し、それから休まず稽古を積み、小学5年6年と三連覇することができました。2017年には型の世界大会に出場し、4位に入賞出来ました。
僕が型の稽古を通して学んだ事は、稽古は絶対に裏切らない!やっただけの結果は帰ってくるし、あきらめてはいけないという事です。こうして組手と型と両方結果を出せたのは、いつも厳しく指導してもらった谷口先生と、色んな所に遠征させてくれて応援してくれた両親、いろいろなアドバイスや指導をしてくださった他支部の師範先生方、そして僕に長年ていねいにわかりやすく指導してくださった伊熊師範のおかげだと思います。すべての人に支えてもらったおかげで黒帯を締める事ができるのだと思います。
空手の技術面だけでなく、勝って驕らず負けて腐らずなど、精神面でも辛いことから逃げずに打ち克つ心を教えてくれた谷口支部長には感謝しかありません。これから僕は今まで支えてくれた方々に恥じない黒帯になって、恩返しが出来るように頑張っていきたいと思います。
押忍!!
『 これまでの自分を振り返って 』
僕は4歳の時に空手を始めました。始めたきっかけは、何も習い事をしていなかった僕におばあちゃんとお母さんが勧めてくれたからです。最初は稽古に入るのが怖くて泣いていたことをなぜか今でもはっきりと覚えています。小さい時の試合の記憶はほとんど無いけど、初めて試合で優勝した時の事ははっきり覚えていて、試合が終わった後、泣いて親に飛びついた事が頭に残っています。
中学1年生の時、東京で開催された世界大会に出場しました。自分は出場出来るか出来ないかの微妙な位置にいたので、出場が決まった時はホッとしました。それまで色々な先輩や友達が世界大会に向けての稽古をするのを見たり手伝ったりしてきて、キツそうだなと思っていたけど、自分が出場するとなって稽古をすると、想像以上にキツかったです。大会では2回戦で敗退してしまい、まだまだ弱いなと感じました。
空手を始めて11年目で昇段審査を受けることが出来て、小さい頃からの夢だった黒帯になることができました。審査当日は、緊張と少し楽しさがありました。でも審査が始まると、「10人組手で倒れされないか。最後まで戦い抜けるのか」などの不安でいっぱいになりました。10人組手が始まると、周りの人達が応援してくれ、不安が無くなり目の前の相手一人一人に集中して向かい合うことができました。最後の3人から体が思うように動かずとてもしんどかったです。しかし、終わった後はしんどさよりもやり切ったという達成感の方が大きかったです。
この黒帯を取ることは、自分一人の力だけでは無理だったと思います。なぜかと言うと、稽古に行くたびに、丁寧に熱心に教えてくれた谷口先生、組手の相手やミットを持ったりしてくれた道場の友達や先輩後輩、そして何よりもここまで励まし続けさせてくれた家族が支え応援してくれたからです。そんな支えがあった事にとても感謝をしています。
黒帯を取ったから終わりではなく、ここが新しいスタートだと思って一層努力し、感謝の気持ちを忘れず、強く、優しい黒帯になれるようこれからも頑張っていきます。
押忍。

2017年全日本青少年大会で3位入賞!

棒術も得意です!
『 空手という道を選んで 』
自分は年長の時に極真館に入りました。お父さんが空手を見つけて連れて行ってくれた事がきっかけです。稽古を見学した時に「ここで練習したい」と思いました。お母さんは「サッカーか野球をやってほしい」と言いましたが、空手をやりたいという好奇心が強すぎて入門してしまいました。
最初、谷口先生が先輩たちに対してとても怖かった記憶があります。しかし、稽古を続けていくうちにどんどん楽しくなっていきました。初めて出場した大阪の大会では、初戦負けしてとても悔しい思いをしましたが、空手が大好きだったので、負けても前向きになれました。試合に出場していくにつれ、優勝や準優勝が見えてきました。初めて優勝できた名古屋の大会では、嬉しすぎて号泣してしまいました。
空手を続けて練習していくと、仲間たちが増えていきました。特にMOMO道場の人達はとても面白かったです。そして試合を積んでいくことでライバルも増えていきました。自分が出場していない大会でライバルが活躍していると急に自分の中に競争心が湧いてきました。さらに、組手の稽古ではだんだんと良い戦いが出来るようになり、一段と楽しくなりました。
そして選手クラスに入りました。選手クラスは組手ばっかりで行き始めたころはとても地獄で、それがだんだんストレスになり辞めたくなりました。しかし、必死に教えてくれる先生や、日曜日に走りに連れて行ってくださる保護者さんや、何より毎日のように送迎してくれるお母さんの気持ちに応えるためにも、もう一度頑張って強くなろうと思いました。そして、小学6年生の時に全日本大会で優勝することができました。支えてくれたお父さん、お母さん、谷口先生に恩を返せたかなと思いました。中学生になって行き始めた一般クラスは、とてもキツいですが、そのお陰で強くなれている気がします。
空手を始めて9年目で迎えた昇段審査、審査の前には「10人組手で最後まで立っていられるのだろうか」と不安でいっぱいでしたが、無事やりとげて黒帯になることができました。今まで支えてくださった仲間や先生、家族には本当に感謝しています。しかし、ここで終わりではありません。これからは教える立場にもなります。自分の事も、後輩の事もしっかり見て、憧れの存在となれるよう稽古していきたいと思います。
後輩の皆さんに伝えたいことがあります。それは何事に対しても絶対に諦めないで欲しいということです。自分も何度も挫折して来ましたが、あきらめなかったからこそ、結果が残せたと思っています。だから皆さんも諦めずに頑張ってください。もう一つは、支えてくれる人達への感謝を忘れないでください。先生が何度も言ってくださっていますが、本当に大切だと思います。感謝の気持ちを忘れていない人が大会でも優勝しています。なので、親や支部長への思いは絶対に忘れないでください。
押忍!!

2016年KWU全世界青少年空手道選手権大会(ブルガリア) で3位入賞!
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